2012年7月30日月曜日

子供のころの方がハッカー的だった

ハッカーという言葉の意味は,「うまくやってのける」というhackという言葉から来ている.

成人を迎え,それなりの年月が経つと,何かをうまくやってのけることが難しい.

ちょっとのことでも,ヤル気がなくて手付かずになってしまうことは,ままある.


夏を迎え,ふと,幼少期の頃を思い出す.

私は,作ることが大好きだった.

夏休みの課題に,自由工作があった.

だいたいの生徒は面倒臭がってやらなかった.

しかし,私は日頃から工作をしていたので,その自由工作の課題はとても嬉しかった.

当時は,評価されたいとか,よこしまな気持ちはほとんどなく,自由工作でスゲーのを作ってクラスの奴らに自慢してやろう,くらいの気持ちだった.

子供の気持ちは単純ゆえに純粋である.


工作をしているときに,どうしても材料が足りなくなったりする.

それは,材料費であったり,材料自体があまり売られていなかったりと,理由は様々だ.

当時はまだ子供だったし,材料を親に買ってもらうことも難しかった.

少し凝ったモーター付きの機材を買うにも,3000円くらいしたし,そうそう買ってもらえる値段ではなかったのだ.

また,まだインターネットも一般家庭に普及していない時代だ.

片田舎に住んでいた子供にとって,都会にしか売っていない材料は魅力的だったが,それを買いに,現地に足を運ぶことは難しかった.

今では,インターネットを使って誰でもいつでも商品を購入できる.

安い店を比較したり,未知の材料を探すことも可能だ.

なんとも便利な時代である.


このように,材料が足りなくなると,必然的に何か別のモノで補わなければならなかった.

例えば,簡易的なロボットを作るために,大きな筒のようなものが必要だったことがあるが,そういう時は,代用として,ラップの芯などで補った.

ラップの芯は,汎用性が高く,頑丈で,材質は紙だから加工もしやすかったり,当時にしては,非常にありがたいアイテムだったのだ.

直方体のお菓子のからや,ペットボトルも多いに役に立った.

メジャーなところでは,卵のパックも色々と役に立った.

こうやって,足りないものはどんどんその場にある機材で代用していくのだ.

だから,最後には予想してなかったものができることも,たまにある.

それでも,作っている仮定が楽しかったし,作ったもの自体はあまり重要じゃなかった.


そう,私は当時,「うまくやってのける」というハッカー精神を既に持っていたのだ.

とりあえず,プロトタイプを作る.

クオリティはいきなり高くはできないから,とりあえず作って考える.

わからないことは調べる.

工作に使えそうなものはないか,常に周りを見渡す.

工作に没頭する....


大事な精神はほとんど工作で身に着けていたのだ.

しかし,年月がたち,大人になってからは,ほとんど工作をしなくなった.

足りない材料は,インターネットに売っている.

金もあるから,少し無理をすれば買うことができる.

....そうやってどんどん,離れていったのだ.

いつでも買える状況は,怠惰を招いた.

今の私より,子供の頃の私の方がよっぽどハッカーだった.

いや,みんな昔はハッカーだったのかもしれない.

砂場やレゴブロックで変幻自在にモノを作っていたあのころは,創造的だった.
オリジナリティにあふれていた.

固定観念や常識にとらわれないあの頃は,最上であった.


くだらない作業に追われ,一つのことに集中できなくなってしまっているのか.

固定観念に追われているのか.

色々考えなければならない問題が多いせいなのか.

きっと理由は様々だろう.


子供のような純真な心をもった人の方がハッカーになりやすいのは,とてもよく分かる.

この先,自分がどうなるのかはわからないが,ただひとつ言えることがある.

それは,あの頃の精神は二度と取り戻せない.


子供っぽさはあるが,子供では無い.

大人になるとは,何かを積み減らしていくことなのかもしれない.


そんな寂愁の念を抱きながら,また,夏がくると,そんなことを思い出すのだろう.

今年の夏も暑くなりそうである.

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